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今出在家町(近世〜近代)


江戸期~現在の町名明治中期~昭和6年は兵庫を冠称江戸期は兵庫津南浜の1町町名の由来は,北接する出在家町から分かれて新しい町を形成したことによると思われる出在家は中世荘園制の在家が枝分かれしたことにちなむという(神戸の町名)商業交易,水産業の中心地域当町には兵庫の生州と呼ばれる捕獲した生魚を飼養した貯魚場があり,旅人の目を楽しませた(摂津名所図会)寛政8年の家数309・人数1,141(安田家文書)南浜諸町の中で最大の家数・人数があり,問屋・運送業者・仲買商が当町に集まっていた(神戸市史資料2)時宗薬仙寺は建武の中興時代後醍醐天皇に服薬用の霊水を差し上げたので薬仙寺の寺号を授けられたという伝説があるほか,文久元年英公使オールコック一行が兵庫開港準備に訪れ,塔頭の寺院に泊まっている同寺境内には,昭和50年建立された神戸空襲戦没者慰霊碑,近年新川運河敷地内から移築した後白河法皇を幽閉した萱の御所跡記念碑がある明治元年南組,同5年兵庫3番組に属す同12年神戸区,同22年神戸市,昭和6年同市湊西区,同8年からは同市兵庫区に所属明治27年頃から1~3丁目を編成昭和48年川中町・南逆瀬川町1~2丁目の各一部を編入し1~4丁目となる世帯数・人口は,昭和5年470・2,381,同55年285・868




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7388124