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漆館村(近世)


江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち岩木山北麓寄り,津軽平野中央部の海抜5m前後の低地で,用排水路の中ノ川右岸に立地弘前藩領天和3年の広須御新田所図に村名がみえ,「安政2年神社書上帳」によれば,地内の八幡宮・正一位稲荷宮は天和3年当村中により建立したとあるから,この頃の開村と思われる村高は,享保16年検地帳168石余(田153石余・畑14石余),「天保郷帳」152石余(うち弘前本では天明8年改出新田78石余・寛政10年74石余),「旧高旧領」156石余享保12年には広須新田山通り36か村の1つで,村位は下,免合は六ツ成(平山日記)のち木造【きづくり】新田に属す(津軽平野開拓史では宝暦4年以降のこととする)享保16年検地帳によると,反別は田畑屋敷合わせて27町8反余,うち田24町7反余で,上田から下々田まで設定され,このうち下田が12町余(84石5斗余),下々田が11町7反余(58石8斗余),畑方は3町余で,上畑2畝余・中畑2町4反余(12石4斗余)・下畑4反余(1石余),下々畑はない地内米館にある八幡宮は,祭神誉田別命・倉稲魂命で(森田村誌),元文元年検地帳には,小野井伊賀抱えの稲荷社地の下々畑16歩とあり,また「稲荷社地 八間八間弐畝四歩 宮建有之 小野井伊賀抱 右之内八幡社地壱間弐間」とあって,稲荷宮と八幡宮は同地内にあった「安政2年神社書上帳」によれば天和3年創建,八幡宮と稲荷宮は相殿で社司は宮本日向宝暦8年・寛政9年・文政3年・弘化2年・安政2年(稲荷宮)の棟札があった明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」によれば,戸数23,村況は「平田の間に往し,畠少し」とある同9年中田村の一部となる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7250326