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小笠原牧(古代〜中世)


平安期~鎌倉期に見える牧名巨麻【こま】郡のうち律令制下の甲斐国は黒駒と呼ばれる馬の産地として有名であり,官牧として真衣野・穂坂・柏前の3牧が設定されていたその後も多くの准官牧・私牧が立てられ,小笠原牧もそのような牧の1つであった「西宮記」には「応和元年九月十日,於本殿覧後院小笠原御馬,賜親王及右大臣子小舎人実正」とあり,「北山抄」には「応和元年八月二十九日,冷泉院小笠原牧御馬,於陣外令分取」と見え(大日料1-10),冷泉院の後院の牧として知られるまた,紀貫之の和歌にも「都まてなつけてひくはをかさ原(小笠原)へみ(逸見)の御牧の駒にや有らん人家に紅梅あり」と詠われており,10世紀には,いわゆる皇室領の牧として成立していたようである平安・鎌倉期の和歌にその後も当牧名は散見するが,「吾妻鏡」建暦元年5月19日条によれば,小笠原御牧の牧士と奉行人三浦義村の代官との喧嘩のことが記されており,牧の機能は少なくとも鎌倉前期まであったと考えられるなお,建長5年10月21日の近衛家所領目録(鎌遺7631)に「甲斐国 小笠原〈篤子中宮領内〉」と見えるが,これは,後院↑陽明門院↑篤子内親王↑摂関家(近衛家)と伝領されたものであり,当牧は鎌倉期に開発され,山小笠原荘へ発展してゆくといわれている(秋山敬:小笠原牧と小笠原荘/甲斐路42)牧域を復元することはできないが,牧の適地としての地形を考えるとき,八ケ岳山麓の明野村小笠原を中心とした地域に比定すべきであろう

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7335419