辞書一覧
検索結果一覧
6079件Hitしました
3071から10件/6079件中
江戸期〜明治4年の町名。鳳至郡のうち。加賀藩領。鳳至町村とも称する。元和6年の検地打渡状では「鳳至町」とあり,元来,独立村であったらしいが,寛文10年村御印では,「能州鳳至郡輪島町物成之事」として川向かいの河井町・海士町とともに輪島町に包括されている。元和6年の村高は543石余。寛文6年は198石余,免7ツ8歩1厘。宝暦13年では226石余,百姓数85,肝煎が置かれ,住吉神社前に高札場があった。蔵宿として天明期久保屋喜兵衛,文化期中島屋三郎左衛門,文久期中島屋,樽見屋次右衛門。前田利家の御印物頂戴の鍛冶12軒。幕末期の鍛冶役銀372匁,素麺役74匁,町夫代銀157匁。安政5年の持舟は350石積を最大に5艘。家数は享保21年255,天明2年307,天保5年554,嘉永7年692,安政5年702,15〜60歳の人口1,580。文化7年の職業構成は,総数350のうち,素麺商売75・塗物関係53・鍛冶33・古手商24・家大工23・米秕商20・その他122。天保14年では,総数560のうち,塗師・木地など塗物関係178,家大工など住居関係53,古手商など衣料関係50,素麺43,米・酒・塩・豆腐など食料関係30,鍛冶25,桶師・提灯張替えなど家具関係16,舟問屋・舟大工など交通関係10,医師・髪結・風呂など衛生関係10・その他145。天明3年,米価高騰が原因で,中上屋伝兵衛宅などが打ち毀された。火災により享保13年に255軒,同21年に197軒,天明5年に232軒を焼失。天保4年に津波が襲来し,総家数505のうち損家144,そのうち全壊流失101。復興雑費が186貫余。寺子屋は,法蔵寺で算術を教え,正門弥十郎,春田幸庵,竹内良栄,富樫定輔,小伊勢定右衛門宅では習字や漢字を教えていた(輪島市史)。神社は住吉神社。崇神天皇の時代に鎮座,初め奉仕の神部12,寿永年中浅井氏が神主職となる。江戸期には,山方村と浜方村とが豊作・大漁を祈願する綱曳祭りが行われたが,明治7年に廃止(鳳至郡誌)。寺院は真宗大谷派長徳寺・長楽寺,曹洞宗の永福寺,浄土宗の法蔵寺がある(同前)。明治4年海士【あま】町・輪島崎村・河井町とともに,輪島町となる。その際,町名は一時消滅するが,のち明治22年輪島町の町名となる。
次の10件