LPRP
Lao People's Revolutionary Party
ベトナムやカンボジアと同様、フランスの植民地(仏領インドシナ)だったラオスは、第2次大戦後も大国の介入で分裂と内乱を経験した。統一実現はベトナムと軌を一にする1975年(ラオス人民民主主義共和国成立)。実質的にはラオス人民革命党による一党独裁。55年、インドシナ共産党ラオス委員会によりラオス人民党が結成され、72年の第2回党大会で現在名に改められた。内戦時代はパテト・ラオ(Pathet Lao、前身はラオス愛国戦線)と名乗った。最高指導者カイソンの死去(92年)で、党議長職はカムタイ(大統領職を兼任)に引き継がれたが、2006年3月の第8回党大会でカムタイが引退、後任にチュンマリ副大統領が選任された。同時に役職名も党書記長に変更された。
| 朝日新聞社 「知恵蔵2009」 JLogosID : 14846381 |