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土佐日記
【とさにっき】



作者・成立
作者は紀貫之きのつらゆき。紀望行もちゆきの子。生年は不詳で、天慶八(九四五)年か翌年に没したという。御書所ごしょどころ預かりなど文筆にかかわる役職から、美濃介みののすけ、土佐守とさのかみを経て、従五位下木工権頭もくのごんのかみに至る。歌人として活躍し、『古今和歌集』の中心的な撰者で、仮名序を執筆する。土佐守在任中に私撰集『新撰和歌集』を編んだ。家集『貫之集』があり、『古今和歌集』以下の勅撰集に約四百五十首入集する。和歌、歌論にとどまらず、すぐれた仮名散文の文章を残した点でも高く評価される。 成立は平安時代前期。日記の最終記事が承平五(九三五)年二月十六日で、成立は同年中か、その翌年と考えられている。貫之は六十六歳ぐらいである。題名は、土佐の国(=現在の高知県)から京都までの船旅の日記であることによる。古くは『土左日記』とも書かれ、「とさのにき」と呼ばれていたらしい。
内容・構成
任期を終えた土佐守が、承平四(九三四)年十二月二十一日に国司の館やかたを出発してから、翌年二月十六日に京都の自宅に帰り着くまでの五十五日間の旅の出来事を、随行した女性が記したように見せかけた日記である。男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年の師走しはすの二十日はつかあまり一日ひとひの日の、戌いぬ の時に門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。と書き出され、以下、特記事項のない日も含めて一日も欠かさず記されている。日記の末尾では「とまれかうまれ、とく破やりてむ」と、無用の書であると謙遜する。 内容は三部に分かれ、十二月二十六日までの第一部には船出の準備、人々との惜別が、翌年二月十四日までの第二部には船旅の不安、海賊への恐怖、船からの眺望、望郷の念などが、二月十五日以後の第三部には帰京の感慨などが記される。和歌が五十七首(船歌三首を含む)盛り込まれている。作品の中心になっているのは、土佐で亡くした女児への哀惜の念と見られ、人情と自然の対比や死と老いをめぐる思いなど、人の心を時に深く観察し、時に軽妙に描写する。
文体・特色
文章は一文が短く簡潔・平明で、女性が書いたはずの仮名散文の中に、「たがひに」「そもそも」「はなはだ」「ごとし」などの漢文訓読語を交えている。また、貫之自身を「船君ふなぎみ」「翁人おきなびと」と客観化して描いており、批判精神と諧謔かいぎゃく精神に富んだ文章となっている。作者を女性に仮託する試みは、男性の官人の書く公的で記録的な漢文日記でなく、私的に自己の心情を率直に書こうとしたためと考えられ、後の『蜻蛉日記』以下の女性の日記文学の先駆けとなった。




東京書籍
「全訳古語辞典」
JLogosID : 5113635