旭浦
【あさひうら】

(近代)昭和6年~現在の洞爺村の行政字名。もとは洞爺村の一部,セタイトシマモイ・洞爺湖畔・西洞爺。かつては大砂古とも呼ばれていた。地名の由来は,洞爺湖に接する湾状の地形で,ここから朝日がよく見えたことと,当地の南側(虻田(あぶた)町)が月浦と称したことからこれに呼応して命名したと思われる。明治24年伊達の日本キリスト教会の林竹太郎によって濃尾地震の孤児数名を収容する孤児院を隣地の月浦に建設したのが,集落形成のきっかけとなった。この孤児院は北海孤児院と呼ばれ,字成香に基本財産としての農場を持って木材搬出,農業経営を行った。同28年アメリカ人宣教師ロオゼー・ミロルの寄付によって総2階建ての新院舎を建設,当時の村人は御殿と呼び,ミロル館と命名。しかし,同37年経営不振で北海孤児院は閉鎖。洞爺村分村前は虻田村幌萌(字月浦の地域)に所属していて17戸しかなかったため(洞爺村史),部長制では向洞爺部に入れられたが,大正10年大砂子部として独立。昭和3年の区長制でも大砂子区であった。世帯数・人口は,同35年11・81,同55年8・35。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7000180 |