100辞書・辞典一括検索

JLogos

64

岩尾内
【いわおない】


(近代)昭和48年~現在の朝日町の行政字名。もとは朝日町の一部,奥士別・似峡・上似峡。かつては士別御料地(通称奥士別御料地)・ニイサマ殖民地と称された地域。地名は,アイヌ語のイワオナイ(硫黄川の意)にちなむ(北海道地名誌)。明治43年御料地第2期区画設定によって御料小作地の指定を受け,大正2年宮城・福島・奈良各県や道内各地からの入植者によって開拓が始まった。同2年御料地25線に私設渡船場設置。同4年似峡簡易教育所開校。同6年御料地25線に官設駅逓設置。地内は天塩川・似峡川・サックル川に沿った平坦地に農地が広がり,水稲・バレイショ・ビートなどが耕作された。昭和7年森林鉄道が敷設され,木材産業の基地として地内中央部(似峡地区)に市街地が形成された。同8年北海道第2期拓殖計画によって,似峡川上流に根釧原野から転住移民33戸が入植したが,同9・10年の冷害凶作により大半が離農した。昭和8年上似特別教授場が開校。同10年似峡郵便取扱所開設。同12年上士別村産業組合似峡支部設置。同22年糸魚(いとい)中学校似峡分校が開校。同28年戦後開拓による国有林の所属替えによって,残留者を含む28戸の開拓者が似峡地区に入地。同34年似峡診療所新築。同年道道下川愛別線朝日~愛別間が開通。同37年道道朝日滝上線(現士別滝上線)が開通し,さらに映画館・旅館・食堂などが次々に建設され,旭川方面とオホーツク海岸を結ぶ中継点として世帯数170・人口800余りを数え,朝日町第2の市街地として繁栄した。昭和40年岩尾内ダム建設工事が開始され,水没する似峡市街地,上似地区の住民210世帯・966人が移転した。同46年ダムが完成し岩尾内湖が誕生。地内では同53年から陸封サクラマス蓄養施設や岩尾内神社山公園の造成など,観光開発とダム周辺環境整備事業に着手している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7000736