協和
【きょうわ】

(近代)昭和30年~現在の中標津(なかしべつ)町の行政字名。もとは別海村大字平糸村の一部,春別原野・上春別原野。昭和3年長崎・石川・愛媛各県より入植三十数戸。当時はシノノメ・ネイラク・春別という集落があり,同4年協心同心の精神で地域の振興を図ろうということで,協和と命名した。同4~6年にかけて,茨城県・島根県などから二十数戸が入植,一時は60戸を超えたが,同6~7年の冷害凶作で離散者が続出し,第2次大戦中は16戸となる。戦後再び入植者があり,人口が増加。昭和6年殖民軌道が開通,同9年に国鉄標津線中標津~西別間が開通,殖民軌道は廃止。同32年国鉄標津線協和駅が開業。入植と同時に仮校舎を設置,昭和4年西別小学校付属春別特別教授場が開校。同12年協和小学校となり,同52年中標津小学校に統廃合。昭和4年春別神社が建立,同36年協和神社となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7002642 |