嫌侶村
【きろろむら】

古くはヒロヽ・キロルともいった。十勝地方北東部,十勝川支流利別(としべつ)川中流左岸。地名の由来には,アイヌ語のキル・オ・ル(足・入れる・路の意)により,「人間が踏みかためた広い路」を意味する説(地名アイヌ語小辞典),キロロ(勢力の意)により,アイヌ首長の勢力が弱かったことにちなむ説(北海道蝦夷語地名解)がある。なお,キロロは利別川右岸のキロロチャシコツのある台地の上と下の川原とを行き来するために崖につけられた道を指すと口承されている(本別町史)。松浦武四郎「戊午日誌」に「ヒロヽ,左りの方小川。此川岩多きよし,依て号るとかや。本名ヒヲロのよし。ヒは小石,ヲロは多しと云儀也」と見える。
【嫌侶村(近代)】 明治初年~大正4年の村名。
【嫌侶村(近代)】 大正4年~昭和50年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7002688 |