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シラヌカ場所
【しらぬかばしょ】


(近世)江戸期の場所名。東蝦夷地のうち。西は直別川,東は大楽毛(おたのしけ)川の間に位置し,南は太平洋に面する。クスリ場所開設の寛永年間頃までには商場として設置されたとみられる。場所の開設年代を寛永9年あるいは寛永12年とする説もある。西はトカチ場所境の直別川,東はクスリ場所境の大楽毛川の近くタンネノニイをもって区域とした。シラヌカ場所は松前藩家臣給与地で,元禄年間に飛内右衛門,寛保3年頃飛内儀右衛門,天明年間から寛政年間は飛内亀右衛門にあてがわれた。寛政11年幕府仮直轄地となる。天明6年の「蝦夷拾遺」に「運上屋 二戸 海岸里数四十里余」とある。天明年間の請負人は松前の材木屋藤右衛門,寛政3年には大和屋惣次郎,同11年大和屋吉兵衛。運上金は天明年間40両,寛政3年65両,廃止直前には120両となる。産物は享保年間の対アイヌ交易の対象品としてトカチ場所と同じく干鮭が名物で,熊皮・鹿皮・鷲羽が沢山出るが塩鶴はなしとある(蝦夷商賈聞書)。天明年間にはタラ・鹿皮・熊皮・熊胆・アツシ。寛政3年の「東蝦夷地道中記」には「古来山猟の場にて,多分は山住みの蝦夷なり,近年鹿不足につき請負人損亡ある由」とある。寛政3年大和屋惣次郎の請負のもとで場所支配人は喜八となっている。総乙名は寛文年間シリテシ,天明年間コタカ,寛政3年はコタカチャラの息サンブツ。寛政年間の場所内の地名は,タヤヲコツベ・ヲニヨー・カブナイ・ヲコシュンナイ・ココイ・ヲトンベ・ベシャブナイ・シュクベツ・ベシュヅルヲマナイ・シンヌウ・バウシ・バシュヱウウバシクル・ヲシュシベツ・ヲショロコツ・イクツイ・フツテベツ・シャロ・シラヌカ・シャクシウシ・チカヨフ・シヨロ・ヲタノシケ(東蝦夷地道中記)。コタンおよび軒数は不明だが,寛政3年にはチノミに14,5軒,同12年にシラヌカ10軒,シャクベツ3,4軒。当場所は茶路川上流部を通じてトカチ場所と結ばれており,寛文9年シャクシャインの蜂起には,これに呼応したアイヌが商船の乗組員13人を殺害した。寛政12年に八王子同心千人頭原半左衛門配下の50人がシラヌカ場所に移住した。同心は庶路・茶路・尺別川河口で耕作のかたわら,内陸路を開き,択捉(えとろふ)島で警備にあたり,阿寒で硫黄の採取を試みたが,冷涼な気候に適応できず17名の犠牲者を出した。場所の中心はシラヌカで,古くは運上屋が設置され,幕領後は番屋がこの地に置かれた。また,シャクベツとシラヌカに旅宿所が置かれ,十勝~厚岸間の海岸線の交通路の一部を担う。享和2年クスリ場所に編入され廃止される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7004140