長苗代
【ながなわしろ】

旧国名:陸奥
馬淵(まべち)川下流の左岸に位置する。東の内舟渡(ないみなと)は,八戸藩領時代城下への出入口となっていたが,根城南部氏時代は舟着場として利用されたといわれる。馬淵川の流路が現在より北にあったためであろう。南西部には二日市・紺屋町・幕ノ下といった小名が残ることから,根城城下の下町の一角を形成していたとも考えられる。二日市は天授2年の南部信光譲状(遠野南部文書)に「二日いち」と見える。また,地内悪虫は天授6年4月15日の藤原行親寄進状(新渡戸文書)に見える「あくむしのかう」の地に比定される。
【長苗代村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【長苗代(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7012088 |




