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藤崎城
【ふじさきじょう】


藤崎安東城・白鳥城とも呼ばれる平城。南津軽郡藤崎町藤崎字四本松,字村岡に所在。平川右岸に位置する。藤崎町市街東半部が城域。東西約360m・南北800mと広大であったが,宅地化のため原形はほとんど失われ,わずかに南東隅の八幡宮付近に土塁や水堀跡がみられるにすぎない。康平5年,前九年の役で源頼義に討たれた安倍貞任の子,高星丸が津軽に逃れて安倍十郎貞義と名乗り,寛治6年その子尭恒が築城したといわれる(安倍家記/重代旧記)。以来子孫が安藤(安東)氏を名乗るようになった。安藤氏は鎌倉期~室町期を通して,当城を根拠地に津軽地方を支配した。同氏は建武の新政の時は南朝方につき,恩賞として大光寺城(平賀町)が与えられたという。また,足利尊氏蜂起の際は,下国安藤氏(十三)は南朝方,上国(藤崎)安藤氏は北朝方と,一族が分かれて戦った。その結果,下国安藤教季が勝ち,藤崎城に居城したという。その後,南部守行に攻撃され,落城する。南部氏の支配下となり,城番が置かれた。さらに津軽氏の支配になってから,津軽為信が大浦為則の子五郎と六郎を城番として置いたが,天正13年に2人は水死し,廃城となったという。当城の南東200m,浅瀬石川右岸に新城と呼ばれる場所がある。当城に関連する場所と思われるが詳細は不明。遺構も確認されない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012760