宇部
【うべ】

旧国名:陸奥
小倉山の北東,宇部川の中流域に位置し,標高24m。北東部は太平洋に接して断崖となり,北は久慈湾,南は野田湾に挟まれ台地をなしている。地名の由来は,もと海辺村と称したが,のち転じて宇部となったという(管轄地誌)。地内には,山屋敷古代住居址・上新山古代住居址・三崎縄文住居址・小袖住居址・経塚・十三塚がある。室町後期に野田氏が居住した宇部館(八幡館とも)跡がある。宇部館は宇部川右岸に突き出た丘陵部にある。丘陵の基部を二重濠で仕切った山城。200m×40m。一戸南部氏の後裔,源左衛門義親(大永7年卒)の居館と伝える(一戸野田系図)。野田城の支城的存在か(城郭大系2)。なお,中世の大蔵・小蔵両牧は当地付近にあったと推定されている。
【宇部村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【宇部村(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【宇部町(近代)】 昭和29年~現在の久慈市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7013756 |




