狐崎
【きつねざき】

旧国名:陸奥
(中世)戦国武士狐崎氏の本拠地。閉伊(へい)郡のうち。狐崎氏は大槌氏の一党。南部信時の文明~文亀年間に当地に来住した狐崎玄蕃を始祖とする。慶長6年狐崎の城主,荒谷肥後が葛西浪人鹿折信濃ならびに金掘らを集めて起こした一揆は伊達政宗麾下の中島大蔵信真らに鎮圧された。籠城の161人は城東の首切沢で処刑され,城を逃れた葛西六郎らも鵜住居水海で殺された。葛西塚と称する墓碑7基が残る。狐崎城は釜石市浜町1丁目,市街地を眺望する丘陵上にある。三方が海に面した断崖からなる要害の地である。本丸・二の丸が残る。大手口は釜石湾に面した館の下,搦手は釜石小学校近くの荒屋敷である。標高は120.7m(城郭大系2)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7014340 |