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野田通
【のだどおり】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期の盛岡藩の通名。同藩の郷村支配のための地方行政区域の1つ。閉伊(へい)郡・九戸郡のうち。「邦内郷村志」では野田県と見える。当通の設置年代は不詳であるが,「邦内貢賦記」の天和2年のものと推定される記事に当通の名が記載されていることから,この頃までにはすでに存在していたと考えられる。「県史」5では,寛文6年~天和3年の総検地実施過程で確定されていったものと推定している。「邦内貢賦記」によれば,所属の村は二升石・浜岩泉・田ノ端(田野畑)・沼袋・尾肝要・萩牛(はぎゆう)・堀内・普代(ふだい)・安家(あつか)・二升石新田・浜岩泉新田・尾肝要新田・沼袋村(野々村字右衛門上地)・沼袋新田・岩泉・野田・上戸鍍・下戸鍍・細野・深田・端神・木売内・宇部・宇部(町屋敷分)の計24か村,惣高は875石余,うち20石余は諸役御免(ただし物成は上納),平均年貢率は1割9分7厘8毛,年貢収納米は173石余(うち大豆23駄),ほかに金目高532匁余,野田御蔵が1つあり,惣船数は160,塩釜数は41。「邦内郷村志」によると,所属村は閉伊郡二升石・岩泉・浜岩泉・田野畑・尾肝要・沼袋・田代・萩牛・普代・堀内・安家,九戸郡端神・細野・木売内・深田・下戸鏁・上戸鏁・宇部・野田・玉川・白前・侍浜の計22か村,総高は2,227石余で,うち蔵入地1,505石余・給地721石余,安永9年の戸数488,寛政9年の馬数1,782,産物は銕・熨斗・紫根・鮎・鮭・蚫切込・魚油・鰯〆粕・串貝・布海苔・塩・松藻・和布粉・絹糸・真綿・鍾乳石・十府菅菰・黒石英。「本枝村付並位付」では,享和3年の村数22,家数1,636。天保8年の「御蔵給所惣高書上帳」では村数22,総高は2,227石余で,うち御蔵高1,565石余・御免地高54石余・給所高611石余。代官所は宇部町に置かれ(県史5),「公国史」所収の「官職志」によると,代官所の役人数は代官2・下役2・植立奉行1(所給人)・野田御蔵奉行(当時は代官の兼務),牛馬役1(鉄山方を兼務,所給人)・鉄山吟味方1(所給人)・升倉部御山鉄山方1(所給人)・鉄山吟味役・御新田懸1(宮古通も兼務,所給人)。当通の村々は明治元年維新政府の管轄となって松代藩取締の下に置かれるが,閉伊郡の村は同2年江刺県となり,九戸郡の村は同2年九戸県,八戸県,三戸県を経て,江刺県となり,同4年ともに盛岡県に属すことになり,同5年岩手県に所属となる。現在の久慈市,下閉伊郡田野畑村・普代村,九戸郡野田村の各全域および下閉伊郡岩泉町の一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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