福室
【ふくむろ】

旧国名:陸奥
七北田(ななきた)川下流域に位置する。七北田川と梅田川の合流点に近く,その氾濫原上に位置する水田地帯。地名の由来は不詳であるが,「和名抄」に見える平安期の大村郷の村が室となまったものかと考えられ,大村郷はこの地を含んだものと比定されている(地名辞書)。付近には平安期の土師器・須恵器を出土する福田町・鶴巻・小原などの遺跡が自然堤防上に散在。中世には字松堂の西光寺が正平2年に開山されたというが(寺伝・塩松勝譜),境内には正平親王碑の名で知られる板碑がある。正応2年7月20日銘の供養塔婆に,別の筆跡で正平7年3月18日と追刻している。古来当地方に南朝方の親王の碑であるとの伝承があり,これを山村宮(詳細不明であるが,観応2年11月に北畠顕信らと協力して広瀬川の戦に参加し,南朝方の多賀国府回復に貢献した皇族)の供養碑とする説もある(大槻文彦:伊達行朝勤王事歴)。なおこの碑は,民衆の間では平親王将門の墓と称して,百日咳に碑面の苔をとって飲ませると卓効があると信じられていたという。
【福室村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【福室(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7019006 |




