飯村
【いいむら】

旧国名:出羽
(近世)江戸期~明治9年の村名。出羽国秋田郡小鹿島(おがしま)のうち。秋田藩領。「享保郡邑記」に「古来は脇本村に起る,正保三卯年に別村に成る。民家三軒」とある。藩政初期以来真崎氏,および脇本(わきもと)の加藤与治兵衛が開発(絹篩)。「享保黒印高帳」に村高495石余・当高425石余(うち本田並360・新田65)とあり,江戸前期に相当の開田のあったことを示す。「寛政村附帳」では当高426石余(うち蔵分0.7・給分426)。給分は多数の久保田給人に1,2石前後で細分給(御判紙写帳)。「天保郷帳」では村高425石余。しかし「絹篩」に「元一村にして村居宜しと云。何時の頃か村散のことありて家二戸あれり,止こと無くして涌元の支郷とす」とある。湿地帯のため潰村か。鎮守は神明社。ほかに八幡社がある。この2社の別当は南平沢村の修験大学院(絹篩)。明治9年脇本村に合併される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7019826 |