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避翼駅
【さるはねのえき】


旧国名:出羽

(古代)奈良期に見える駅名。最上郡のうち。天平宝字3年,避翼駅などの6駅が,雄勝・平鹿郡(現秋田県)とともに置かれた(続日本紀)。これより前,天平5年,雄勝郡が置かれ,740~750年代に現在の新庄市から横手盆地(秋田県)にかけての開発が進んだ。雄勝城建築の進行とともに,多賀城(現宮城県多賀城市)から雄勝郡衙・平鹿郡衙に至る連絡手段としての駅路が設けられた。避翼駅は,かかる背景の下で設置された。避翼の遺称地としては現在の舟形町と尾花沢市との境にある猿羽根山があるが,おそらくは,最上川支流の最上小国川に即した舟形町付近に避翼駅が設置されたものと思われる。前の駅である玉野駅から山沿いの道を北上し,丘陵を越えて,避翼駅に至り,さらに北上し新庄盆地を縦断して,平戈駅に至る。宝亀年間,俘囚の反乱によって,玉野―避翼―平戈の内陸行路は維持できなくなり,廃止された。代わりに,旧山道駅路を可能なかぎり活用して,最上川を北上し,庄内平野に出て鳥海山西山麓より由利地方(秋田県)に至る駅路が模索された。いわゆる延喜式駅路の成立である。「延喜式」によれば,避翼駅には駅馬12疋・船10隻・伝馬1疋・船6隻が配置されている。この駅は,「廐牧令」に規定される水駅である。村山・野後駅と最上川を北上して当駅に至り,さらに北上して佐芸駅に至る。「出羽国風土略記」は「延喜式」に見える避翼駅を現在の西村山郡寒河江市北方の大字日和田に比定しているが,疑問視されている。また「地名辞書」および井上通泰「歴史地理新考」は「延喜式」に見える避翼駅を新庄市南西の大字本合海に,次の駅の佐芸駅を立川町大字清川に比定しているが,佐芸駅は鮭川(さけがわ)村に比定するのが妥当と思われる。この仮定に立てば,「地名辞書」や井上説では避翼駅と佐芸駅との距離が短く,避翼駅は,最上小国川河口付近,現在の舟形町大字長者原の地に置かれたと考えるべきであろう。長者原には長者屋敷の地名があり,避翼水駅長の屋敷に関係する遺名かと思われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7025308