中菅間
【なかすがま】

旧国名:常陸
桜川中流右岸の沖積地に位置する。古くは渚蒲と称し,地名のスカは川沿いの少し高い地の方言で(新編常陸),地名は桜川と小貝川との中間にあることによるという。弥生・古墳時代の中菅間遺跡,稲荷塚古墳があり,中菅間遺跡は土師器も散布する。文禄元年3月の大場大和他連署書状写には,天文~永禄年間頃のこととして小田氏の動静を報ずる記事の中に「結城・小山・真壁・下館領小田近所,洞下・須賀・田中之庄追日為兵乱之由有風聞」とある(水府志料所収文書/県史料中世Ⅱ)。この「須賀」は「すが(ま)」を意味すると思われ,当地および上菅間のあたりと考えられる。文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,五百六十四石七斗七升三合 中すかま」とある。
【中菅間村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【中菅間(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7038659 |




