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惣宗寺
【そうしゅうじ】


佐野市金井上町にある寺。天台宗。春日岡山転法輪院と号す。本尊は釈迦如来。寺伝によれば,開基は藤原秀郷,開山は宥尊上人。天慶年間秀郷が平将門調伏を春日神に祈願し功験があったので,旭岡の地に当寺と鎮守春日神社を建立。春日神に因み地名を春日岡に改めたと伝える。創建後朱雀天皇から「総宗官寺」の勅号を賜わり,勅願所となる。鎌倉期永仁4年俊海が堂塔を復興し,執権北条貞時から寺領を給された。さらに伏見天皇から転法輪院の勅額を賜わり,勅願所となったという。以後中世期の寺歴は未詳。慶長7年領主佐野信吉が徳川家康の命で唐沢城を春日岡に移すにあたり現在地に移転。当寺は春日城の出城的な役割を果たしたといわれる(佐野市史)。江戸期元和3年家康の霊柩を駿河国久能山から日光に移す際,宿所とされた。「徳川実紀」同年3月28日条には霊柩が「佐野の春日岡といふ寺に入奉る(今摠宗寺といふ寺なりとぞ)上野介正純あらかじめ御殿をいとなみ,こゝに蹕を駐したまふ」とあり,この縁で後に東照宮が勧請された(文政6年9月付春日岡境内東照宮造営由来留書/佐野市史)。元和3年時の住持は中興の祖といわれる13世三海で,家康の側近天海(上野寛永寺開山)の高弟。天海の推挙により当寺住持となる。元和元年に高萩村に23石・鐙塚村に27石あわせて50石の朱印地を賜わったこと(春日岡寺領御朱印之事/佐野市史),家康の霊柩の宿所となったことは天海の計らいによるものと思われる(佐野市史)。寛永寺末で,寺中6・末寺8・門徒14か寺を配した(上野国下野国天台宗寺院名前帳/本末帳集成)。江戸初期隆盛だったが三海の死後は無住同然になったらしく,天海が朱印状の再交付を寺社奉行に依頼している(年欠11月10日付春日岡山寺領之事/佐野市史)。慶安2年の春日岡寺領定に「春日岡住持これ無き内,留守居ならびに六供衆万事念を入申し付べき事」とあり(佐野市史),さらに寛政8年植野村より出た火災で堂宇を焼失(寛政8年2月9日付植野村出火一件/佐野市史)。しかしその後再建がなされている(旧県史4)。維新後明治13年国会開設運動の栃木県代表事務所が当寺に開かれた。自由民権運動の政治結社中節社の創立事務所にもなり,そのため足尾鉱毒事件や谷中村廃村問題で知られる田中正造の葬儀場とされた。現在寺内に市重要文化財の梵鐘(明暦4年在銘)をかける鐘楼,春日城門と伝える山門などがある。明治36年正月元三大師(天台18代座主良源)の大縁日を復興して以来厄除けの人々でにぎわいを見せる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7042428