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芳賀城
【はがじょう】


真岡城・舞丘城ともいう。中世の城郭。真岡(もおか)市台町城内に所在。芳賀氏は宇都宮氏の重臣で,芳賀姓を最初に名乗ったのは高澄である。高澄は承保3年,五行川左岸に居館を築き,7代高親がこれを修築した。23代高継は上杉・北条両氏の動きが活発になると,天正5年台町の地に平山城を築いた。これが当城である。現在は真岡小学校地内・城山公園となっている。「日下田家文書」に,天正5年,高継は坂本尾張守・大島豊後守・日下田日向守の3人を普請奉行に任じて築城を開始し,人夫は那須・塩谷・壬生(みぶ)・宇都宮から各々200人,日数200日を要したと記されている。城は市街地では最も高い台地上に築かれ,東・北・西側の三方は約10mの急崖を呈し,東側の崖下には内濠として行屋川をひき,さらに東方を南流する五行川を外濠とした広大な規模であった。城郭中心部の規模は,東西約228m・南北約360mで,本丸は台地最北端に位置し,南側に二の丸・三の丸をもった連郭である。縄張りは稜形を呈している。城の付近には城内・外堀・水手・タケ内・山下・馬乗馬場・根堀などの地名が残る。高継には男子がいなかったので,天正13年宇都宮国綱の弟高武を養子とし,家督を相続させて隠退した。慶長2年,宇都宮氏の滅亡により廃城となったが,その後は江戸幕府の代官所として明治維新にまで及んだ。伝芳賀氏の墓は,真岡氏京泉の鹿島戸観音堂境内,宇都宮市竹下町の同慶寺境内,真岡市田町の海潮寺境内の3か所がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7043229