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入野村
【いりのむら】


(近代)明治22年~昭和30年の自治体名。はじめ多胡郡,明治29年からは多野郡に所属。神流(かんな)川に注ぐ鏑(かぶら)川下流域に位置する。小串・黒熊・深沢・石神・中島・小暮・馬庭・岩井・多比良の9か村が合併して成立。旧村名を継承した9大字を編成。村名は,「万葉集」巻14に詠まれている「多胡の入野」が黒熊のあたりに比定されるという「後上野志」の説を採用して命名された(多野藤岡地方誌)。明治24年の戸数613,人口は男1,789・女1,729,学校3・水車場6・船3。同43年の戸数579・人口4,933。明治13年多比良村に生糸共同揚返所が創設され,同23年中島村に甘楽社入野組が事業開始,受付生糸は約700貫に及んだ。農家はすべて養蚕を兼業,高山社・順気社の伝習を受け改良法により春夏秋蚕の3度飼育,入野組は同43年信用販売部門も開設。明治33年入野村農会が組織され,試作場を村内に作り,各種の品評会を開催し農事改良を奨励した。馬庭・川北の2大字は,旱魃による苦しみを解決するため,同38年馬庭堰普通水利組合を結成(組合員325名),藤原式揚水機を鏑川に総工費6,676円で設置した。明治38年大凶作に,小串は県の補助を得て,同39年窮民救済事業として赤坂道路を改修,延べ2,447人動員,工事費1,500円。明治30年高崎~下仁田間に開通する上野鉄道に村民の寄付で,同43年馬庭に簡易停車場駅舎が完成。県道藤岡吉井線は村を横断し,南北の往来には馬庭の渡し(人馬)・岩井の渡し(人)の2か所を利用。昭和23年入野農協は,小串土合橋際の隔離病舎跡に創設。同29年小串に稚蚕共同飼育所が創設され,成果を収めたので漸次入野全地区に波及した。大正5年碓氷社多比良組が創設され,昭和5年御法川式器械の導入で生糸生産に独立,多比良信用販売購買組合となり,横浜貿易商と直接取引を行った。第2次大戦の進行に伴い同18年解散,組合員1,000名。大正初期に黒熊信用購買組合が組合員75名で創立,昭和10年解散(吉井町誌・多野藤岡地方誌)。同30年の世帯数920・人口5,427。同年吉井町の一部となり,村制時の9大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044556