裏町
【うらまち】

旧国名:上野
(近世~近代)江戸期~昭和15年の町名。江戸期は城下町伊勢崎の町人町。「伊勢崎風土記」に町名が見える(県史料集2)。本町の南へ,同町と並行するように東西に町並みを形成。町名は,城下町の中心本町の1つ裏にあたることによる。寛永19年の検地帳(伊勢崎市立図書館蔵文書)による名請人筆数20。なお同検地帳には茂呂越町が見えるが,同町はのち当町と西町に吸収された。「伊勢崎町新古日記」の宝暦13年屋並間数・軒数等書上(同前)によれば,間数は西町角から本光寺前木戸まで106間,本光寺前から茂太夫角まで51間で計157間,家数45うち店借12。本光寺は浄土宗の寺院で,元亀3年のちに西町内となる和尚崖から移転してきた。ほかに天台宗宝西寺もあった。同寺は飯福神社の神宮寺。飯福神社は元徳元年現地へ遷座してきたといい,その前所在地は不詳。このあたりの鎮守で,大正15年伊勢崎神社と改称した。明治18年の戸数81。同44年の戸数87・人口452。世帯数・人口は,大正9年103・468,昭和5年136・607,同15年138・577。町名は,明治22年から伊勢崎町の通称町名として存続。昭和15年宮元町と改称する。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7044652 |