群馬県
【ぐんまけん】

(近代)①明治4~6年の県名。明治4年7月廃藩置県の直前に,岩鼻県知事青山貞から上野(こうずけ)国諸藩を統合した「上野県」設置の建白書が提出され,同年10月24日に高崎・沼田・安中(あんなか)・伊勢崎・小幡(おばた)・前橋・七日市・岩鼻の8県を廃止して,「高崎県」を設置する布告案が大蔵卿から提出されたが,県名を「群馬県」と変更して同28日に太政官から布告された。勢多・群馬・片岡・碓氷(うすい)・甘楽・多胡・緑野(みとの)・利根・吾妻(あがつま)・佐位・那波の11郡,45万2,136石を管轄した。県庁は高崎に設置され,旧高崎城を予定したが,兵部省が接収したために,翌5年5月27日に県庁を前橋城へ移転し,6月15日に開庁した。初代長官には岩鼻県知事であった青山貞が権知事(同年11月2日に権令と改称,3日に県令に昇任)に任命された。同4年11月に庶務・聴訟・租税・出納の4課が置かれ,同6年2月に庶務・租税・出納の3課に変更した。同年3月に河瀬秀治が入間(いるま)県令を兼ねて群馬県令に任命された。熊谷に事務局を設置し,高崎・伊勢崎・下仁田・藤岡・沼田・中之条に区庁を置いた。同6年6月15日,熊谷県の成立に伴い廃県。②明治9年~現在の県名。明治9年8月21日,熊谷県を廃止して,旧群馬県と栃木県の所轄であった新田(につた)・山田・邑楽(おうら)郡を合わせて,上野国全体を群馬県とし,熊谷県令であった楫取素彦を初代県令に任命した。県庁は高崎に置いたが,同9年9月1日に安国寺を本庁とし,町内の竜広寺・烏川学校・宮本町・新紺屋町などに分局を5か所設置した。同年9月29日,前橋の利根川学校を仮庁舎として移転した。同14年2月,前橋に正式に県庁を移転し,現在に至っている。明治9年の戸数・人口は12万8,980戸,54万477人(群馬県治一覧表)であったのが,昭和60年には55万6,268戸,192万1,259人と,それぞれ4.31倍,3.55倍に増加した。平成12年現在11市33町26村,世帯数68万6,418・人口201万7,768。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045318 |