生利
【しょうり】

旧国名:上野
生梨とも書いた。ほぼ中央を神流(かんな)川が東流し,沿岸に狭い河岸段丘があり,人家や耕地が立地する。北縁に西御荷鉾山がそびえる。地名の由来については昔御荷鉾谷の枝折として,北方から開けてきたので枝折(しおり)村と称されたが,「しょうり」に変わったという。枝折りは道しるべに木の枝を折ったこと,また谷の奥を意味する(多野藤岡地方誌)。明治初期生利村の小字飯島については,天正17年10月15日の北条家充行状写(黒沢文書/県史資料編7)に「飯島之内」が見え,新井治部少輔に対し「此度在所引立忠信不浅」として当地のうちなど3か所を宛行っている。
【生利村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【生利(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7045797 |




