100辞書・辞典一括検索

JLogos

29

総社藩
【そうじゃはん】


旧国名:上野

(近世)江戸期の藩名。群馬郡総社に居所を構えた譜代小藩。当藩の成立については,徳川家康に信濃国諏訪1万2,000石を安堵された諏訪頼忠が,天正18年総社1万石を加増され,さらに文禄元年総社2万7,000石に移封されて蒼海(おうみ)城に入居したのが始りとする説と,文禄元年頼忠の子頼水が武蔵国内1万2,000石から総社1万2,000石へ移封されて蒼海城に入居したのがはじまりとする説がある。諏訪氏は頼忠・頼水と2代,または頼水1代が10年間在封した。慶長6年頼水は信濃国諏訪2万7,000石に移封され,代わって秋元長朝が関ケ原の戦の功により,群馬郡内で6,000石を加増されて,総社1万石に封じられた。長朝は蒼海城が荒廃していたため,入部早々築城に着手し,翌7年完成した総社城に入った。城は東西800m・南北750mの規模で,利根川断崖上に築かれた本丸を中心に,二之丸・三之丸を配し,城の西側には給人屋敷と呼ばれる侍屋敷を設け,さらにその外側に,全長1,300mに及ぶ城下町が建設された。慶長15年には町割りを終了,城下町は巣鳥・鍛冶・粟島・新田・足軽小姓の各町からなり,三国街道の宿場町の役割も備えた。このほか長朝は,慶長6年から領内総検地を実施し,また同7年からは総社城の濠や城下町の用水を確保し,新田開発にも役立てるために,植野堰の開削に着手,同9年に完成させるなど,藩体制の整備を進めた。元和8年武蔵国内で5,000石を知行する小姓組番頭の泰朝が襲封し,高は1万5,000石となった。寛永10年泰朝は甲斐国谷村1万8,000石へ転封となり,廃藩となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7045956