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大光院
【だいこういん】


太田市金山町にある寺。浄土宗。義重山新田寺と号す。本尊は阿弥陀如来。当寺はみずからを新田氏の末裔と称した徳川家康が,慶長16年11月土井利勝・成瀬政と芝増上寺の観智国師の3人を新田の地に派遣し調査させ,それに基づいて慶長18年に新田氏始祖義重の霊を祀るためと称して,ゆかりの地に創建したもの。家康は慶長17年5月4日に大久保長安を通じて当寺創建の用材を木曽などで求めさせている(千村文書/信濃史料21)。山号は義重,院号は義重の法名大光院に由来する。開山は観智四哲の1人,然誉呑竜(浄土宗寺院由緒書上/増上寺史料集・大光院開山呑竜上人由緒書)。慶長19年7月の太田之内大光院領検地帳には八幡村で186石余,入太田村で113石余の計300石,ほかに境内地93石を有した(太田市史史料編近世1)。朱印寺領は寛永13年・寛文5年にも安堵されており(寛文朱印留),寺は幕府寺社奉行の直轄支配であった。元和8年には常紫衣の勅許を賜わった(大光院蔵然誉上人宛文書)。宗門内では浄土宗十八檀林の1つとなり(大光院蔵檀林巡路記),宗門僧侶の育成機関としての役割をもち,当寺での修行僧は数多い(浄土宗寺院由緒書上/増上寺史料集)。寛永9年の本末帳には京都知恩院末で末寺の記載はないが(本末帳集成),元禄8・9年の浄土宗寺院由緒書上の檀林末には大光院末寺分として,上野・下野・武蔵の各国に25か寺を有し,近世末期には38か寺となった。開山の呑竜は,当時窮迫した農村で盛んに行われていた間引きをみかねて,みずからの禄米を子供たちに給し救ったという。しかし幕府に咎められると,子供たちを形だけ剃髪して弟子とし,施しを続けたと伝える。呑竜の死後も「子育て呑竜」として人々の信仰を集め,現在も子供の健やかな成長を願う多くの人々が各地から参詣する。寺は開山堂の呑竜信仰から,「太田の呑竜さま」と呼ばれる。所蔵文書には,日鑑・浄土宗伝法史料・紫衣執達状・呑竜上人譜脈など多数ある。本堂は創建以来のもので,開山堂は昭和9年に完成し,呑竜自作と伝える木像を安置する。本堂正面の吉祥門は市重文。開山忌・節分会・花まつり・菊花大会・故信講が続けられている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7045987