原町
【はらまち】

旧国名:上野
薬師岳東麓,吾妻(あがつま)川中流左岸に位置し,東境で同川と四万川が合流する。地名は,元和2年平川戸町から移町した時の地名吾妻原(観音原)が,原の新町・原の町・原町となった(原町誌)。地内には縄文時代の須郷沢遺跡,弥生時代の善導寺前・岩櫃山鷹の巣遺跡などがあり,特に鷹の巣遺跡は共同墓地と推定され,当地方の墓制を示す貴重な遺跡である。土器は弥生中期初頭のもので,県内では最古の一群の中に位置づけられている。地名・伝承・考古学の成果を総合すると,10世紀頃の蕨手刀もあり,地内の大宮付近が郡家所在地の第1候補と推定される(中之条町誌)。鎌倉期には,「吾妻鏡」に見える吾妻氏が有力となり,源頼朝を浅間三原野の狩に案内したという伝説も残る。地内の岩櫃城は吾妻郡内の中心的城で,南北朝期の貞和5年に里見氏が吾妻行盛を破り同城を占領した。その後斎藤氏の養子となった行盛の子憲行が延文年間に岩櫃城を回復し,以降斎藤氏6代が城主となった。永禄6年12月12日の武田信玄判物写(加沢記所収文書/県史資料編7)には「斎藤越前入道逆心之企之処,各忠節岩櫃乗執条」とあり,上杉方についた斎藤氏は武田氏に攻められ,同城は武田氏の支配に入った。この城は久能・岩殿とともに武田氏の3名城とされた難攻不落の山城で,城下の平川戸町は繁栄し,当町の前身となる。近くの柳沢城・稲荷城も同時期の城で,現在も堀などの遺構が残る。
【原町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【原町(近代)】 明治22年~昭和31年の吾妻郡の自治体名。
【原町(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046704 |




