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富益郷
【とみますのごう】


旧国名:上総

(中世)鎌倉期~室町期に見える郷名。上総国馬野(まの)郡のうち。養老川河口の沖積平野に位置する国衙領で近辺には青柳・不入続(いりやまず)・島穴・姉崎・郡本・椎津・豊成・入沼などの国衙領の郷保があった。応永年間頃の馬野郡郡本富益両郷公田覚書(覚園寺文書/県史料県外)に「郡本郷与富益郷公田 合四十三丁一反小定」とある。同じ頃のものと思われる年未詳馬野郡惣勘文(同前)によると,鎌倉中後期における当郷の公田は9町2反余であったが,このうち5町5反240歩は神守公神田・国分施田などの仏神田や在庁給・地頭給などの人給田として除田となっており,結局定田は残り3町6反余であった。応永8年7月16日の馬野郡富益郷目録や年未詳上総国富益郷名散田等注文など(同前)によれば,室町期の当郷の名編成は,とみます・くにみつ(国光)・大りき(大力)・しけみつ(重光)・さたみつ(定光)・ひろやす(以上名分),くらしき・ありさた(有定)・たかひろ・さねひろ・さね長・ニさいむま・しつふり(以上小名)となっており,このほか,郷内には政所名・散田・厩所・在家・山野・新林・寺社道場等々があった。また郷内の村としては,あさ山村(今津朝山)・のけの村(野毛)が見られる。これらの地の年貢・分銭の負担については,年未詳室町期と見られる上総国富益名等分銭注文(覚園寺文書/県史料県外)によると,とみます名で4貫550文(此外垸捥あり)・国光名で4貫575文(此外垸捥料350文)・大力名で1貫991文(此外水田代3貫文作人別に賦課)・重光名で2貫210文(此外垸捥あり)・定光名で1貫465文・有定名で1貫707文・くらしき名で297文(4反分,此外72文の麦駄賃)・さねなか名で2貫1文などであった。また同年代頃の年未詳富益郷内さねひろ名等分銭注文(覚園寺文書/県史料県外)には「道ちやう分 三百三十九文」「れんたい寺 百九十一文」「正慶寺 三百六十二文」「松斎分 九十四文」などの記載も見え,新たな収取単位が認められる。その他,鎌倉期には当郷にも伊勢役夫工米が課せられ,また応永15年12月4日には当郷公田9町2反半に対して官庁段銭合計1貫850文が課せられ,これを納入している(同前)。しかし,応永9年12月1日の,当郷についてのものと思われる年貢未進注文(同前)には7石余の未進が記されており,郷内の年貢収納は必ずしも順調に運ばれてはいなかったと推定される。現在の市原市野毛・今津朝山を中心とする一帯に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7055921