本佐倉
【もとさくら】

旧国名:下総
もと印旛(いんば)沼中央南岸の丘陵地上に位置する。中世は佐倉と称した。地内に本佐倉城址と大堀館址とがある。本佐倉城は戦国期の文明年間,千葉介輔胤が築城,27代重胤の天正18年,小田原合戦に,北条氏に与し滅亡するまでの110余年間,千葉氏の居城であった。城域は字根古谷・城の内・荒上・向根古谷の約20ha。文禄年間,徳川家康の五男,武田信吉が封ぜられ,字大堀に陣屋を築造し移転,本佐倉城は廃され,統治の中心は大堀館に移った。大堀館(別称万千代屋敷)は元和年間,佐倉藩主土井利勝が佐倉鹿島台に佐倉城を築造移転するまでの20数年間存続した。城移転により地名も本佐倉となった。
【本佐倉村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【本佐倉(近代)】 明治22年~現在の酒々井町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7057515 |