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相模湖
【さがみこ】


津久井郡相模湖町・藤野町,山梨県北都留郡上野原町の相模川にある人造湖。東西7km・湛水面積3.26km(^2)・総貯水量6,320万m(^3)・有効貯水量4,820万m(^3)・最大水深36m・満水面標高167m。昭和13年に県が計画した相模川河水統制事業の一環として相模川を旧与瀬町で相模ダムによりせき止めてできた。相模川河水統制事業はわが国初の河川総合開発事業で,相模川の河水を上水道・工業・畑地灌漑用水・発電に利用するものである。相模ダムは昭和15年に着工,同19年に湛水を開始し,同22年に竣工したわが国初の多目的ダムで,頂長196m・高さ58.4mの重力直線式コンクリートダムである。当湖左岸には境川・沢井川,右岸には秋山川・篠原川が流入する。なお秋山川には流域変更した道志川の水が流入する。ダム下流の相模発電所(3万1,000kw)・相模第二発電所(5万5,000kw)で発電が行われる。ここではピーク発電を行うため下流での各種用水の取り入れに差を生じる。このためダムの3.5km下流に沼本ダム(津久井ダム)を築き,沼本調整池に排水を溜め,発電時の用水の取り入れを安定化させている。ダムの完成により県内の3町5村,山梨県の1町1村が水没補償の対象となった。旧日連村勝瀬集落(93戸全戸),山梨県島田村(22戸)など計136戸が水没した。勝瀬集落は当時養蚕・織物が盛んで,しかも作物収量も多く豊かな地域であった。そのため用地不売同盟を結成しダム建設に反対したが,第2次大戦下の国・県の政策にはさからえず,協力を余儀なくされた。住民は旧高座(こうざ)郡海老名(えびな)村や都下旧日野村などへ移転した。ダム,相模発電所,下流の津久井発電所は戦時中の資材難にもかかわらず,軍需生産のための電力増強の必要から昭和15年に着工し,予定より2年近く繰り上げ昭和18年末から同20年にかけて一応の完成をみている。完全に竣工したのは昭和22年であるが,この間学徒動員もなされ,延べ360万人がこの工事に携わった。このように戦後のインフレの前に施設が完成しているため発電コストが非常に安いのが特徴である。相模川は一般河川と異なり5~6月が渇水期となる。そこで第1次増強事業(昭和26年着手)として相模堰堤大制水門を2mかさ上げし,総貯水量は5,720万m(^3)から現在の6,320万m(^3)に増した。このため湖水面が山梨県上野原町旧島田村の一部へ越境し,この補償に難行したため第1次増強事業は昭和36年にやっと完工した。昭和39年東京オリンピックのカヌー競技会場として利用されて以来,相模湖ピクニックランド・遊覧船・ボート・ヘラブナ釣・紅葉狩・ハイキングなどで知られ,中央高速道路も近く,県北最大の観光地としてにぎわう。湖畔には相模湖電気科学館があり,発電と相模湖誕生の様子が見学できる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7067041