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本町?
【ほんちょう】


旧国名:相模

(近世)江戸期~明治8年の町名。明治4年からは小田原駅を冠称。江戸期は小田原城下の町人町。通り町9町の1つ。小田原城の南,東海道沿いに形成され,東は宮前町,西は中宿町,南は代官町,北は三の丸外濠。もと通小路と称したが,江戸初期の町割りに際し当町を基準に左右を割り出したことにより本町と改称したという(新編相模)。宿機能の中心として本陣2・脇本陣2のほか多数の旅籠が並ぶ。御用物継所もあり,寛永10年以来継飛脚給米86石余を幕府から与えられた(同前)。宮前町寄りに小名市場横町がある。古来から商人が座を構えて魚市を立ててきたところで,別に名主・組頭がおかれており,地子は免除され,朝鮮通信使往来の際は藩主から与えられた竹木により魚店を修築し土産の魚類を並べる例となっていた。貞享3年小田原町明細書上によれば魚座役屋敷は代官町・千度小路・中宿町・宮前町・新宿町・万町に分かれ総計75軒(久保田家文書/県史資9)。「新編相模」では80軒。当町の旧家に,天正18年小田原に入った徳川家康に壺を献上して屋敷地を免除された芦川半左衛門・中村善四郎,江戸初期の町年寄・宿老で本陣を勤める窪田氏,町年寄で同じく本陣の松本氏(のちに片岡氏が継ぐ),および益田氏がある。鎮守は宮前町の松原明神社。災害については,元禄16年の大地震で全戸倒壊し,天明2年および嘉永6年の大地震でも大きな被害をうけ,また文化14年の大火では町中全焼となった。「新編相模」によれば,町の東西1町27間半・51間余,家数41軒,ほかに店借3軒。伝馬役23匹を負担,安政6年には人数149(明治小田原町誌)。明治8年小田原駅幸町の一部となる。
本町(近代)】 昭和41年~現在の小田原市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7068982