吉城寺
【きちじょうじ】

旧国名:越中
十二貫野(じゆうにかんの)台地の山麓に位置する。古くは金沢といったが,藩府の金沢(石川県)と同名ということで改称。「新川郡邑名来歴」には「此村往古,吉祥寺と申す寺あり,その名にちなみ,吉祥寺となり,其後吉城寺と改名した」(黒部市誌)。吉祥寺は常光国師(相国寺3世・天竜寺40世の空谷明応禅師)語録に載録の鐘銘に「大日本国越中州新阿(河カ)郡佐味郷大慈山吉祥禅寺新鋳巨鐘銘曰……」と見える。五山派の臨済寺院であった(県史中)。その後,朴堂祖淳・廷端祖兆が吉祥寺に住し,廷端祖兆は文明9年に入京している(翠竹真如集2/五山文学新集5・県史中)。その後廃寺となったが弘治年間魚津町常泉寺(曹洞宗)の松室文寿によって再興された。
【吉城寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【吉城寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7081063 |




