国吉村
【くによしむら】
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(近代)明治22年~昭和26年の村名。はじめ礪波(となみ)郡,明治29年からは西礪波郡に所属。高辻・笹八口(ささやつくち)・五十辺(いからべ)・江道(えんどう)・月野谷・手洗野(たらいの)・上八ケ新・広川新・答野出(とうので)・佐加野(さがの)・加島新・島崎・細池・頭川(ずかわ)・岩坪・境の16か村と四日市村・八口(やつくち)村・答野島(とうのしま)村・内島村の各一部を合併して成立。大字は内島村の一部を除き,旧村名を継承し19大字を編成。村役場を大字答野島に設置。小矢部(おやべ)川の左岸に広がる地域。ほとんどが農業を本業とする農家で約430haの田と44haの畑の耕作に従事し,半数以上の農家がムシロ・カマス・タワラ・ナワ・ゾウリ・ワラジなどのワラ製品をつくっていた。養蚕戸数は約50戸あったが,昭和初期の絹糸の暴落によって廃業。約6haの山林から杉皮や木炭を産出し,ほかに小矢部川でナマズ・サケの捕獲に従事する家も10数戸あった(西礪波郡統計書)。明治43年全村の児童を収容する国吉尋常小学校設立。大正6年高等科を併設。同8年農業補習学校を併置。昭和9年国吉小学校内に村立国吉図書館を設置。同11年二宮尊徳の銅像が小学校校庭に建立。同22年小学校は出火し全焼したが,同25年校舎新築。同22年石堤村との2か村中学校組合をつくり,北礪中学校を設置したが,国吉小学校の焼失により計画を変更,東五位・立野(たての)の祖父中学校組合を合わせ4か村で新たに組合をつくって国吉・五位中学校を置くことになり,当村は国吉中学校分を負担することになった。昭和24年校舎を新築し,翌25年講堂兼体育館を新築,小学校と共用する。昭和5年の戸数590・人口3,280。同25年の世帯675・人口3,796(高岡市統計書)。昭和26年牧野(まきの)村とともに高岡市に編入。各大字は高岡市の大字として存続。
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![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7081154 |