奥野々
【おくのの】

旧国名:越前
日野川の支流奥野々川の上流に位置する。南北朝初期にはホノケ山の連峰,梨木峠を経て海岸に通じる道路が繁盛したと伝える(南条郡誌)。またかつては木地の製造が盛んであったという(南条町誌)。天正18年の府中知行目録に「奥野々」と見え,慶長3年の府中高目録に「奥野々村」とある。慶長国絵図にも,「奥野々村」278石余と記載されている。なお当地に所在の曹渓寺は,中世には洞春院と称する真言宗寺院であったと伝え,その洞春院の文亀元年の所領目録(藤木太兵衛家文書)が残されている。洞春院の所在地は杣山荘と見えるので,奥野々村も杣山荘に属したとみてよいであろう。
【奥野々村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【奥野々(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7091524 |




