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上海浦
【かみうみうら】


旧国名:越前

(近世)江戸期~明治9年の浦名。越前国丹生郡のうち。梅浦川流域に位置し,西は若狭湾に面する。江戸前期に海浦が上海浦と下海浦に分かれて成立。枝村に三軒在家(鷺崎)がある。浦に関しては江戸期を通じて海(梅)浦と扱われた。福井藩領。高は,「正保郷帳」では上海浦と見え,田方13石余・畑方69石余の計82石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」でも上海浦と見え同じく82石余,「旧高旧領」では上梅浦とあり82石余。享保18年当浦の味噌屋七兵衛は福井藩から米750俵を借りて大坂で千石船をつくったが,翌19年秋田湊で破船してしまった。当浦では漁業が盛んで,たびたび近隣の浦との間に境論や網場争論・漬場争論が起きている。明和年間には当浦の彦兵衛・太兵衛が糀製造を行っており,甚兵衛が染物屋を営んでいる(越前町史)。寛政元年の家数77・人数323,寺院3(円満寺・齢久寺・西応寺),反別田畑5町2反余・免5ツ2分,商船5・漁船12,船役銀130匁・海役銀80匁・肴役銀65匁・網役2匁5分・山手銀19匁5分を負担している(同前)。慶応2年の家数172・人数777。明治4年福井県,足羽(あすわ)県を経て,同6年敦賀県に所属。同年の船数は商船6・手繰船18・伝馬船44。同7年の戸数169。当浦には有隣小学校があった。同9年梅浦村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7091879