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紙屋町
【かみやまち】


旧国名:越前

(近世)江戸期~明治7年の町名。敦賀町の1町。北は御所辻子町,南は気比宮,東は執当屋敷,西は上島寺町。御手洗川の水を利用した紙漉の町。享保9年改の敦賀町中地子銀覚では,当町の地子87匁余は上島寺町に含まれ,さらに町内に津内村の枝村宮内村の土地があり,この分は米立で宮内村へ納めている(指掌録)。このことから,当町は上島寺町と宮内村の一部から成立したことがわかる。枝町に御小人町があったが,同町はやがて上島寺町に付属した。「敦賀志」は「鶏卵紙を漉者,気比宮御手洗川の流に着て此処に住り,よて町名となれり」と町名由来を記し,次いで当町産の紙について「鶏卵紙ハ敦賀の名産にして皇国第一の美紙也,外蕃への御答書ハ此紙ニ金箔を数遍漆置にして用ひ給ふと聞り,短冊女懐紙ハ皆此紙の内雲を用ひ給へり」などと詳細に記す。なお万治2年明暦大火後の江戸城普請に際して,2度にわたって1万5,000枚の間似合鳥卵紙を小浜藩は献上した(酒井家御代記)。また享保11年と文化4年の2度,幕府御用を命じられている(敦賀志)。宝暦10年に始まる小浜藩米手形(藩札)の用紙には当町の鳥子紙が使用されている。しかし敦賀半島産の良質な雁皮を原料とする当町の鳥子紙生産も明治38年に廃止された。8月2日の気比神宮の宵祭には,御影堂前とともに,丁左(ちようさ)という紙細工の挽山を出した(敦賀志)。当町の紙役銀350匁。「寛文雑記」には紙屋50人が負担と見えるが,「指掌録」では,半分を本座7人,半分を新座21人より納めると変わっている。天和2年の「遠目鏡」には鳥子紙漉屋は又兵衛など4軒,紙屋は重右衛門など3軒が載る。家数は,寛文3年51うち家持25・貸屋26(寛文雑記),享保11年36(指掌録)と減少するが,これは枝町の御小人町が上島寺町に所属替になったためかと思われる。「敦賀県管轄区分表」による家数32軒。明治7年御手洗町の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7091971