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細工保
【さいくのほ】


旧国名:若狭

(中世)鎌倉期~戦国期に見える保名。若狭国遠敷(おにゆう)郡・大飯(おおい)郡のうち。細工名とも見える。建久6年12月4日の太政官符(吉川半七氏所蔵文書)に「或号細工名田」とあって,当保の前身と思われるものが見える。若狭の国衙には番匠・鍛冶・檜物などの細工を行う手工業職人の工房とそれを管轄する役所があり,これを細工所と称したが,この細工所の費用に宛てるために設定された所領が細工保である。細工保の初見史料である文永2年3月の遠敷郡東郷と西郷の実検田取帳案に,保の名田と考えられる重光・為清・正安・在利の耕地が記されている(京府東寺百合文書ハ・ニ)。文永2年11月の若狭国惣田数帳案によれば,当保の田地26町2反320歩は遠敷郡富田郷・志万郷・西郷・東郷と大飯郡青郷・青保に散在していた(同前ユ)。除田分のうちに下司給2町・番匠給5反180歩・鍛冶給7反120歩・檜物給4反が見え,元亨年間頃の朱注に「国領」とあり,下司について「下司御家人木崎七郎大夫跡,同二郎太郎伝領也」とある。正安4年にも細工保内の地を木崎三郎太郎が当知行していると見え,在庁官人と推定される木崎氏の支配が続いていた(東寺百合文書リ)。南北朝期の貞治5年正月18日に体興寺安信に譲与された地のうちに「さいくのほうの永地下ち」とあり(同前ハ),また,同年9月の太良荘関係文書によれば,太良荘の他領に散在する田畠の一部が当保内にもあったことが知られる(教王護国寺文書)。下って,大永8年3月21日に明通寺が武田元光より安堵された地の中に「サイクノ保散田」120歩がある(明通寺文書/小浜市史社寺文書編)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7092598