下竹原
【しもだわら】

旧国名:若狭
新竹原とも記される(稚狭考)。また,竹原小松原とも呼ばれ,小松原(小尻小松原)・新小松原(出村小松原)とともに江戸期には三小松原と総称された。東を小浜湾に面して位置する。当地はもと竹原村にあったが,慶長6年京極高次による小浜城築城に際して現在地に移転させられたもので(拾椎雑話・稚狭考),竹原村(上竹原村)から分離したということで下竹原と称されるようになった。その名残は祭礼に引き継がれており,7月17・18日の祇園祭(広峰神社の祭礼)では上竹原と共同で執り行い,3社が出る神輿は下竹原の西町・中町・乾古(けんこ)町の住人がそれぞれ担ぐことになっている。なお,神輿は江戸末期に西津村長町の豪商古河屋によって寄付されたものとされる。
【下竹原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下竹原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093012 |




