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山内城
【やまうちじょう】


中世の山城。「若狭郡県志」には粟屋氏城址とある。上中町末野と山内集落の間を南北に走る山脈があり,末野の西側山頂(上城)とやや下った山内の南側峰上(下城)の2か所に所在し,750m×230mの範囲となる。上城は末野と下タ中の中間山頂にあって郭の南北終焉には壮大な堀切・竪堀があり,先端部には土塁を配す。下城は山内集落の南側古城神社の上海抜138mの平坦地にあり,隅丸方形状の主郭を中心に三方に大小5郭を形成する。上城からは三方郡に通じる倉見峠が望見でき,下城では鳥羽谷全域と上中町中枢部を見通すことができる。下城は上城の死角を補う位置にある。城主は永禄年中の若狭守護武田義統の奉行人粟屋光若と推察され(若狭郡県志),幕府御料所安賀荘代官であった可能性が強い。元亀3年,織田信長が将軍足利義昭に出した17条の意見書に「若州安賀庄御代官事,粟屋孫八郎訴訟申上候間,去難く存じ,種々執り申候とも御意得不断過来り候事」(信長公記)とあって,光若の子息であろうか粟屋孫八郎の存在を示している。城は支城の安賀里城が永正年中に存在することから,その年次をさほど上らない頃に求められよう。廃絶は天正12年頃か。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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