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北戸狩郷
【きたとがりのごう】


旧国名:信濃

(中世)室町期に見える郷名。水内(みのち)郡常岩牧のうち。北鳥狩とも書き,村名でも見える。長峰丘陵によって二分された外様平と常盤平が合流する地点で,千曲川沿岸の沖積地と残丘からなる地である。応永8年6月25日の斯波義将安堵状に「水内郡常岩御牧内布施田郷,北鳥狩村内堂原在家壱宇」とあり,市河興仙が信濃守護斯波氏より本領その他の所領と共に安堵されている。続いて応永9年9月17日の細川慈忠遵行状および同18日の伊勢道券打渡状でも「北戸狩郷内堂原在家」が信濃代官細川慈忠より興仙に安堵されている(以上市河文書/信史7)。なお堂原在家については,現在の栄村森の小字堂原に比定する説もある(栄村史水内編)。下って天正6年の下諏訪秋宮造宮帳の秋宮二之御柱造宮領之次第に,享禄3年3月23日の写しとして「合六貫□(文カ)〈北戸狩・同こくまい・□戸狩・同黒井〉 取手大祝」とあり,同年の下諏訪春秋両宮造宮帳に見えるのと同様に,造宮料を課せられている(信叢2)。郷域は江戸期の戸狩村のうち,現在の飯山市照里字戸狩のうちに比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7100390