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【たいら】


古くは松本盆地の北部と仁科三湖盆地の大町村ほか10か村を総称した呼称(元禄11年大町絵図)。仁科湖盆地と鹿島・高瀬の両河川が作った左岸扇状地北部に位置し,仁科三湖を包括する広大な地域。地名の由来は,糸魚川街道の北部が険阻な山道であるのに比し,ここに至ると平坦な広野となることから名づけられた。鹿島川河岸段丘には,縄文中期の上原遺跡,青木湖北岸には縄文早期のクマンバ遺跡がある。古代東山道の脇道を証す沓掛(栃巣)・馬口(借馬)の地名が残る。木崎湖南端には,仁科氏の後詰の城森城跡がある。天正12年と推定される卯月25日の小笠原貞慶書状案には,「森之要害」とあり(御書集/信史16),兵を遣わし,北方越後の上杉景勝に対する軍事的拠点としていた。森城主郭の北辺には,安部神社がある。祭神は,安部貞任・宗任としているが,これは,大和の古代氏族阿倍氏を奉祀したものを誤り伝えられたものという(大町市史)。弘化4年善光寺地震では,中綱湖の西の山が崩落して水がせき止められて水位が上がったため,堀割を作って家を守ったという(大町市史)。また,安政4年の地震では,青木村に被害が多くみられた(栗林家文書)。鹿島川から分水した越荒沢・野口堰,仁科三湖から導水した農具川などの水利によって早くから水田経営が行われてきた。
【平村(近代)】 明治8~22年の村名。
【平村(近代)】 明治22年~昭和29年の北安曇郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101643