野竹村
【のたけむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治10年の村名。小県(ちいさがた)郡のうち。千曲川支流神川(かんがわ)右岸の河岸段丘上に位置する。上田藩領。村高は,「元和高石帳」で貫高245貫70文・石高605石余,「正保書上」「元禄郷帳」とも同高,「天保郷帳」609石余,「旧高旧領」も同高。宝永3年の村差出帳(上田藩村明細帳)によると,家数38うち本百姓24・水呑14,人数243うち男133・女109,出家1人で,なかに山伏も3人いた。馬数は13匹で,北国街道筋の上田城下原町・海野町と田中町へ寄馬を出していた。享保20年では,家数41うち本百姓26・水呑15,人数310うち男174・女136で,このうちに山伏は5人になり,馬数は6匹。明治2年の村高家数人別帳では,家数45,人数268うち男134・女134。産土神は広野辺神社。なお,弘化年間庄屋内藤八郎が藩の勧めによって野竹新田の開発に着手した。しかし思うにまかせなかったようで,文久3年には,藩からの助成金が救済のため返済免除とされている(上田小県誌)。明治4年上田県を経て長野県に所属。同10年古里村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102641 |