100辞書・辞典一括検索

JLogos

21

高山藩
【たかやまはん】


旧国名:飛騨

(近世)江戸期の藩名。外様。藩祖金森長近は,はじめ織田信長,さらに豊臣秀吉に仕え飛騨平定を命ぜられ,その功により天正14年飛騨1国3万8,700石余を領有,さらに慶長5年関ケ原の戦の軍功によって徳川家康から飛騨1国を安堵されたほか,美濃のうち上有知(こうずち)・関2万石と河内のうち金田3,000石を加増され計6万1,700石余となる。同時に長近は,居城の高山城を養子可重(よししげ)に譲り,自らは上有知の小倉城に移った。なお長近は,茶之湯・蹴鞠をよくする風流人として知られる。可重のあと重頼が継いだとき,弟の可次(よしつぐ)・重勝(しげかず)に各3,000石,元和8年には重義に2,000石を分与。重頼以後は,頼直―頼業(よりなり)―頼峕(よりとき)と6代が元禄5年まで在封。この間,山林経営・新田開発および鉱山の開発に力を注ぎ,特に鉱山では金山師茂住(もずみ)宗貞を重用し,川上・小島・白川郷に新鉱山10か所余を開く。また4代頼直のとき,明暦3年の江戸大火で幕府に檜4,000本を献上。一方,総知行高は,新田高で2万2,000石余,金山領で3万石が新たに増加し,寛永11年には計9万石余という。最後の藩主頼峕は,元禄2年5代将軍綱吉の側用人として幕府に厚遇されたが,翌年に免職となり,同5年出羽上山(かみのやま)に移封。廃藩後の飛騨1国は,以後幕府領となる。なお金森頼峕の上山在封は2年余で,元禄7年に再び美濃へもどり郡上(ぐじよう)藩主となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7106984