丸山城
【まるやまじょう】

田方郡土肥(とい)町八木沢にあった戦国期の山城で,海賊城でもあった。伊豆西海岸土肥温泉南2km,駿河(するが)湾に突き出た岬一帯が城跡である。いま国道136号によって南北に分断されているが,国道はもと掘切だったと思われる。その南部の標高55mの高地が本城で,北部の岬先端標高46mの高所が出丸である。出丸東方の平坦地は入り江を埋め立てたもので,船だまりであった。出丸の頂上は30×50mの長方形曲輪で,東北隅に高さ60cm・幅1mの土塁をめぐらした5m四方の穴倉式曲輪が付属している。出丸の三方は断崖絶壁で海上から眺めると浮き城の如くである。出丸から国道を隔てて南方大久保集落までの高地が本城で,5,6段の塁段の上に本丸がある。2段の曲輪で,いずれも東西15m・南北20m位の平場である。西側には高さ1mの石塁が築かれている。さらにこの2つの曲輪中央部海寄りに高さ3mの石塁が築かれ,10m四方の扇形変形曲輪が付属しており,物見櫓の跡と思われる柱穴が確認される。丸山城は小田原北条氏の重臣で土肥に本拠をもっていた富永氏の出城で,西伊豆警備の重責を担う水軍の根拠地でもあった。一族の富永山隨が城将であったが,天正18年3月豊臣水軍の来襲により落城した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7114357 |