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重原藩
【しげはらはん】


(近代)明治2~4年の藩名。三河国碧海郡重原(下重原村)に居所を置く譜代藩。明治2年陸奥福島藩主板倉勝達は,福島城付領1万6,500石と上総国内の飛地領を三河国内に移され,寛政4年より三河国内にあった福島藩飛地領1万石余と合わせて2万8,000石を領有し,従来から重原にあった陣屋を藩庁と定めて立藩した。藩領は,碧海郡30か村・幡豆(はず)郡1か村・加茂郡61か村・設楽(したら)郡89か村の合計181か村・高2万8,352石余であった。なお,寛政4年に福島藩の三河飛地領が設定されたのは,同2年に起きた刈谷藩領の百姓一揆のため刈谷藩主土井利制が村替の処分を受け,刈谷藩領のうち1万石の村々と福島藩領のうち1万石の村々とが交換されたことによる。福島藩はこの三河飛地領を支配するために重原に陣屋を設けたことにより,この飛地領は重原領と通称された。嘉永7年における重原領は,碧海郡来迎寺・駒場・里・大浜茶屋・牛田・今・篠目・八田・中・谷田・上重原・下重原・半城土(はじようど)・箕輪・野田・高須・小垣江・犬ケ坪・和泉・榎前・福釜(ふかま)の各村および堤村・高棚村の各一部である(刈谷市誌)。重原に移った勝達は,直ちに財政改革を行い,士卒を2階級として,禄米をそれぞれ14石,8石4斗とした(内閣文庫蔵愛知県史料)。また,藩校教童館を養正館と改称し,野田村に新庁舎の建設を計画したが,明治2年6月版籍を奉還したので,地割りだけに終わった。勝達は機構を改革して藩知事の下に大参事2,権大参事4,以下小参事などを任命した。同年8月の戸数8,100・人口3万4,885,うち士族949・卒族258。同年10月に至り士族・卒族の土着を計画,同4年1月山林原野360町歩を開墾地とし,1戸当たり1町2反余を士卒に抽選で分配し,茶園の試作を始めることにした(知立市史)。同年6月2日帰田之伺書を太政官弁官に提出して許され,陸海軍兵資兵器などの上納を命じられた(内閣文庫蔵愛知県史料)。同年7月の廃藩置県で重原県となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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