和地
【わじ】

旧国名:三河
古来から片浜十三里と呼ばれる海沿いの帯状の台地に位置する。南は遠州灘に臨む。「和名抄」の「和太郷」のうちに比定され,和太地から和地となったとも,あるいは「和名抄」にも和地と書くべきところを和太と誤記したなどの説がある。伝説には,天平20年郡司となった渥美(あつみ)源五郎重国の娘が朝廷から和地荘を賜ったとある。地内には,一色貝塚・川尻貝塚(弥生時代)をはじめ,志知羅・立岩・寺口・夕海道などの古墳群がある。また,平安末期から鎌倉期とみられる皿山古窯(県史跡)などの遺跡がある。
【和地荘(中世)】 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。
【和地村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【和地村(近代)】 明治22~39年の渥美郡の自治体名。
【和地(近代)】 明治39年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7124741 |




