新松ケ島
【しんまつがしま】

旧国名:伊勢
古くは余波・奈具里(なぐり)ともいう。阪内(さかない)川下流の左岸,伊勢湾の海浜に位置する。地名の由来は,白太夫が当地に逗留した際に残していった菅原道真の像を神体にした菅原神社(名残天神)ができ,名残惜しく思う白太夫の心から奈具利というようになり,のちに保曽久美(ほそくみ)の松ケ島城ができたことから一志(いちし)郡の松ケ島に対して新を付したとされる(新松ケ島地誌)。中世には当地あたりを参宮街道が通っていた。字踊橋の近くには六地蔵など多くの小祠・石仏が残っており,現在松阪市で有数の大伽藍を誇る来迎寺・樹敬寺なども,もとは当地にあったという。当時の街道の様子が昭和26年ごろの工事の折に判明したが,この付近の道は幅9尺(2.67m)にわたって小石や貝殻でつき固められていた(松阪市史)。
【新松ケ島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【新松ケ島(近代)】 明治22年~昭和42年の大字名。
【新松ケ島町(近代)】 昭和42年~現在の松阪市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7127426 |




