三宅郷
【みやけのごう】

旧国名:伊勢
(古代~中世)平安期~南北朝期に見える郷名。「和名抄」伊勢国多気郡七郷の1つ。高山寺本の訓は「美也計」。東急本の訓は「美也介」。大化改新以前の大和朝廷の直轄領に由来する郷名。南北朝期には諸郷祭料として当郷より1石を神宮へ供進した(外宮神領目録)。「神鳳鈔」にも郷名が見え,同書建久元年注文定内には「三家在家」とあり,内宮へ上分を出している。また,郷内の封戸名として,麻続奈子町戸と大眉女戸が見える(法楽寺文書紛失記/神宮文庫蔵影写本)。なお「法楽寺文書紛失記」に「田畠一処 在飯野郡四条八三宅里坪等 四至〈東限櫛田川 南限七閇見戸八曽祢里地大畔 西限七三宅里卅六坪田畔 北限八三宅里大畔〉」と見え,飯野郡4条7里と8里に三宅里があった。松阪市保津町に小字三宅前が見え,郷域は当町周辺の各地域に及んだものか。なお三宅里は郡界の変遷で当時は飯野郡に属したか。東と南側は麻続郷,西側は飯野郡長田郷,北側は流田(ながれた)郷に接し,櫛田川は当時保津町の東側を流れていたか。なお,江戸期においても当地一帯を三宅郷と総称することがあった(勢国見聞集)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7129548 |




